三条西実隆は
三条西実隆は、室町時代の公家。
官位は正二位内大臣。
父は内大臣三条西公保で次男、母は左大臣甘露寺房長の娘。
妻は勧修寺教秀の娘。
公世、公延。
号は逍遙院。
京都武者小路の邸で生まれる。
長禄2年に兄の三条西実連が死去し、寛正元年には父の公保が死去する。
このため、母方の叔父である甘露寺親長の後見を受けて家督を相続する。
応仁元年1467年には京都で応仁の乱が発生し、鞍馬寺へ疎開、乱により三条西邸も焼失している。
文明元年に元服。
永正3年に内大臣となる。
永正13年に出家。
後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇に仕え、室町幕府8代将軍の足利義政や、11代足利義澄らとも親交があった。
一条兼良らとともに和歌などの貴族文化を保持、発展させ、宗祇から古今伝授を受ける。
武野紹鴎に茶道を教え、周防の大内義隆とも親交があった。
漢文日記『実隆公記』は、史料的価値もある。
官位は正二位内大臣。
父は内大臣三条西公保で次男、母は左大臣甘露寺房長の娘。
妻は勧修寺教秀の娘。
公世、公延。
号は逍遙院。
京都武者小路の邸で生まれる。
長禄2年に兄の三条西実連が死去し、寛正元年には父の公保が死去する。
このため、母方の叔父である甘露寺親長の後見を受けて家督を相続する。
応仁元年1467年には京都で応仁の乱が発生し、鞍馬寺へ疎開、乱により三条西邸も焼失している。
文明元年に元服。
永正3年に内大臣となる。
永正13年に出家。
後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇に仕え、室町幕府8代将軍の足利義政や、11代足利義澄らとも親交があった。
一条兼良らとともに和歌などの貴族文化を保持、発展させ、宗祇から古今伝授を受ける。
武野紹鴎に茶道を教え、周防の大内義隆とも親交があった。
漢文日記『実隆公記』は、史料的価値もある。
update:2010年06月27日
